あだちかんなの備忘録

だいたい酔っ払って書いてます

私の人生、私以外生きていけない

最近はまじで読書家なので、電車でも、喫煙所でも、ベッドの上でも、トイレの中でも本を読んでいる。(読書家にまじも最近もないです)

人に、お前はもう一言も言葉を発するなと言われて(ひどい)、行くあてもなく家を飛び出す。考えるより前にあ、と声が出て、もうここにはいられないんだと感じた。頭より先に体がちゃんと反応する。人間も所詮は動物なのだ。なるほど、自分で傷つけておいて、いざ見限られてしまうと、愛とはまったくちがう感情が心をぐちゃぐちゃにしてしまうのだな。それは情だったり、建前だったり、今まであなたが散々蔑ろにしてきたものなのに。わたしもお前もくだらなすぎて笑えてきます。どうせなにを言ったってまた怒らせてしまう。自己防衛のために逃げる。嘘をつく。突き放す。優しくなりたい、と私はよく書いてしまうけど、正直なところ、優しい人だねと言われることは多い。相手の欲しい言葉を、自分の意思で選んで言っているから。私がなりたいのはもっと純粋で、優しい人。きっと一生なれない。20年ちょっと培ってきた音楽文章他人は私をこうも成長させ、研ぎ澄ませ、汚してしまった。楽しいことも悲しいことも苦しいことも私の人生全部が芸術的なネタなのです。主人公は私で、その他は名前すら思い出せなくなる。こんなのは望んでいなかったのに、終わってくれない。世界が終わるような感覚が好きだ。でも、たとえば、爆破予告や大きな地震や台風のせいで世界の全部が壊れてしまっても、私だけはずっとここにいるような気がする。いつか死ぬというのは常識的にわかってるけれど、それでも私はいつまで経ってもこんな風に生きながらえてしまうのではないか、と恐怖する。恋人も、友達も、好きな芸能人も、みんないなくなってしまった世界の中で一人きり、いつもと同じように適当な食事を摂って駄文を書いている、そんな気がしてならない。長くなってしまった、眠い目を擦ってバイトに行く。

 

ていう生活のなかで考えることを文にするのにも曲にするのにもエネルギーを使う、楽しくてやめられないんだけど

 

朝5時、生暖かい風が着古したTシャツの袖をすり抜ける。気がついたら今年も夏が終わっていた。公園の片隅、一人きりで、日陰を探している。こんな時間にこんな場所で、紫外線と戦っているの、世界で私だけでしょう。

私の人生は、絶対私じゃなかったら生きていけない。全部フィクションの世界で、いったいなにを信じていけばいいのだろうね。